勘違いについて

 この世界にある大抵のものは、あなたには関係ない。それらは大体他人事で、あなたの生活と交差しないまま過ぎていく。なのに何かを好きになる時、何かを手に入れたくなる時、あなたはそれを「自分事」に思ってしまう。残念ながらそれは勘違いだ。ラブソングを聴いて「これは自分のことを歌っている」と思うこと、雲間から差す光を見て「天からのお告げだ」と思うことから、人と話しているうちに「この人とは気が合う」とか「この人なら自分を分かってくれるかもしれない」とか、ましてや「この人とならやっていけるかもしれない」とか思えてくることも、全ては勘違いだ。だってすべての事実はあなたのために誂えられたものでなく、ただそこにある事実そのものだからだ。

 勘違いによって世界が読み替わることは、とてつもない快楽だ。あたかも世界が自分のために回っているかのように世界を読み直し、はじめからそうだったかのように語り直す。そうやって人は、世界からそっくり意味を奪ってしまえる。それはものすごく傲慢なことで、暴力的ですらある。だけどその勘違いは、また救いでもある。自分のことを歌っているようにしか思えないラブソングも、運命みたいに話の合う人も、すべて勘違いだったとしてもやはり、主観的に見て救いであることには変わりない。私をそれを咎めることはできない。だって人は勘違いしかできないのだから。

2019/05/30
2020/01/27改訂