ホームビデオと私映画

 中学時代、縦型の小さなカメラを持ち歩いていた。学校からの帰り道、友達と話しながら自分視点の映像を撮るのが好きだった。中学生でいる期間は限られていて、この景色はいつか見られなくなる。ふだん通りの会話も映像に撮って残したら、10年とか経ったあと、映画みたいに鑑賞できるんじゃないかと思った。

 高校生のとき、映像部に所属していた。部活動の一環として、制作した短編映画をコンテストに応募したりもした。高校生が制作した映画のコンテストである「映画甲子園」の応募作は、Youtubeで閲覧することができる。応募作の中には、もはや独立したフィクションとしては鑑賞しがたいような出来のものが沢山あった。おもしろみの判断に客観性が欠けていて、どうしても高校生の生活や、監督や役者の自意識や、制作に至った「ノリ」のようなものが透けて見える。そういう映像が、映画作品として公開されている。私はそれが、「私映画」みたいな感じがして好きだった。フィクションとしては穴だらけの映画から、どこかの高校生たちのリアリティを鑑賞できるような気がした。

 帰り道にカメラを回すこと、役名を俳優と同名にして演じた即興劇を撮影すること、当て書きで脚本を書いて映画を撮ること、instagramのストーリー。撮られたものは、演じられたものとして見ることができる。「撮影」というプロセスは、現実とフィクションの境を飛び越えさせてくれるように思える。

2020/01/27